カテゴリーで公演名を確認して下さいませ。
とおし番号(1、2…)がある場合は、順番に読むと良いことがあるかも…、
もとい、順番になっています。
もっと読みたいものは、「つづきはこちら」からどうぞ。
2008年11月5日(水)~2008年11月9日(日)
神保町花月『オーディション』
脚本:ブラジリィー・アン・山田(ブラジル)
演出:三橋 潔(ナルペクト)
出演:ラフ・コントロール、佐久間一行、井上マー、チョコレートプラネット、ブレーメン、野良三郎、工藤史子
ストーリー:最終オーディションに選ばれた7人の男たち。
次々と暴かれる男たちの過去。そこに隠された共通のヒミツとは?
見終わった直後の感想、いろいろ。
+ + + + + + + + + +
プラン9の「仇男」と「地上最低のショウ」を思い出すお話でした。
無作為に集められた、何の共通点も無い男たち
そして、暴かれる過去と罪
こういうシチュエーションはよくあるのだろうか、なのでわたしはこれ、集められた7人は、全員森木さんを過去に虐めていたんじゃないのかな、と思ったぐらいでした。(話が混ざる…。)
けれど、なんというか、「オーディション」という話はすごく…語弊があるかもしれない言い方をすると、「メルヘン」な話だった。
舞台を見ているときは、とにかく森木さんの恐ろしさ、彼への恐怖がすごく強かった。
でも、舞台を見終わったあと、しばらくして考えると…森木さんのことが、全く怖くなくなっていました。
むしろ、彼は「良い人」だったんだな、って。だって、本当に怖いのは、彼じゃない。本当に怖いのは、知らず知らずのうちに、1人の女性とその周りをめちゃくちゃにした、重岡さんたち7人のほうだから。
さっくんは、恐らく本当に、彼女が「お礼を言いたい」から、森木さんに頼んで来て貰ったのでしょうね。彼1人だけは、目的は「罪滅ぼし」ではなく、多分純粋に、「お礼」が言いたかっただけだったんだろうな…、と。(まあ、それにしては、とんでもなく恐ろしい目に合わせているような気もしますけれどね…笑)
森木さんの存在自体が、その正体が明かされない、謎のもの…架空のものであったからこそ、なんだかわたしは、この話の印象を、「メルヘン」だな、って受け取りました。
DVD化はあり得ないだろうな、と思うので、どんどんネタはバラします。
既成曲をこれでもかと言うほど使用していたこと、放送禁止用語を連呼したことで、ああ、こんなにも「映像化」を嫌がっているお芝居というのも、珍しいなぁと思って。
そういう意味でも、このお話を見ることが出来て、本当に良かったです。
一番はやはり、森木さんによる、目を見張る演技力でした…。
正直、ほんとに、森木さんがこれほどの演技力の持ち主だなんて、全く想像もしていませんでした。本当に怖くて、もの凄いオーラで、普段の漫才だとかトークだとかでは、全く知る由もなかった一面で、ぞくぞくしました。
いくつか、チラホラと感想を見ていくうちに、やはり皆さんが気になっている点を挙げると、
・結局、森木さんの正体は何だったのか
・工藤さんが重岡さんに渡した、「ゴミ」は一体なんだったのか
・セットに書かれた文字に、意味はあったのか
まず「森木さんの正体」
友人は、「死神」みたいなものじゃないかなと思った、と。
彼については、「お前は一体何者なんだ」という問いかけに、「何者でもない」と答えるシーンがあって、多分、本当にそうなんだろうなぁ、と。彼は「人間」でもなければ「死神」でもない、「何者でもない」存在なんじゃないのかな、って。
わたしは考えていくうちに、「死神」というよりは、「裁判官」みたいなものかなぁ、と思うこともあって。
友人が森木さんの衣装について話しているときに、「裁判長みたいな服…」と言っていたんですね。
彼は確かに、「罪」を裁いていた。
恐らく彼の正体を、もっとも的確に表す単語は「死神」だとは思うのですが、
わたしがイメージしている「死神」と、森木さんが演じた「それ」は、なんか、イメージが違うんです。
だからわたしは、あんまり「黒川」=「死神」だとは、結びつかなくて。
彼の正体は、頼むから楽屋裏ブログで、あまり明確にしないで欲しいなぁ…、というのがわたしの願いです。明かされないからこそ、この話の美しさは引き立つものだと思うから。
彼の正体は、みんなが思ったそれぞれで良いんじゃないのかな、と思うわけです。
最後に一切説明が無かった、工藤さんが重岡さんに手渡す「ゴミ」についても、そうです。
結構、最近の舞台を見ていると、なんでもかんでもお芝居の中で「説明」してしまう節が多く見受けられて、だけどこの「オーディション」というお芝居では、潔いほどきっぱりと、何も説明をしない。
本当に素晴らしい脚本だと思った。
変に説明するよりも、謎を含ませ、考えさせて。
「分かった」ときの、あの感覚が、本当に大好きで。
美しいな、と思った。
一番最初に、集められた7人がバスに乗るときの、「運転手」。
この「運転手」は、何者だったんでしょうね。
実はこれも、友人とわたしの感想は違っていて、
友人は「黒川の弟のようなもの、部下のようなもの」、つまり、「黒川」と「運転手」は別人だと思ったと話してくれました。
わたしは、「運転手」と「黒川」は、同一人物だと解釈していました。
「黒川」の姿だって、7人の前に現れる為の仮の姿であって、彼の本来の姿はきっと別のものなのじゃないかな、とわたしは思っていて。つまり、時と場合によって、彼は「運転手」にもなるし、「黒川」にもなる。どんな姿にでも化けられるのではないのかな、と。
工藤さんが重岡さんに渡した「ゴミ」は、
たまごっち、なのでしょうね。
「あれは何だったのか」という話になって、友人がそれを言い当てた瞬間、電車の中だというのに大声で「あっ、そうか!!」と叫んだのはわたしです(笑)。
わたしは「チョコレート」だと思っていました(笑)。
「初めて作った」って言ってたし、だいぶ不細工に出来てしまったチョコレートが、あれだったのかなあ、と。
だけど、「たまごっち」だったと考えたほうがスムーズです、「たまごっち」じゃなくちゃ、あのとき重岡さんが、わざわざ「たまごっち」を落とすというシーンそのものの必要性がありません。
そして、工藤さんの家は燃えている。
大事な写真も燃え…
大事なたまごっちは、燃えて炭になった。
だから、「ゴミ」。
家が火事になり、燃えて炭になったから、ああいう色、形だったんですね…。
…なんか、そんなになってまで(全く原型を留めないまでになってしまったのに、)大切な「たまごっち」を、カバンに入れて持ち歩いている工藤さんが、切ない…。
「もう少し、生きようと思った。けれど、あなたに会って、気が変わってしまった」
セットに書かれた文字について、とりあえず友人の力も借りて(笑)解読できたもののみ。
「愛」→マーくんの恋人のこと
「バリアフリー」→工藤さんの父親の経営する、バリアフリーのコンビニのこと
…ここから、こじつけ入ります…
「かたつむり」→引きこもりのこと
「煮たまご」→コンビニのおでん、もしくは「たまごっち」
…全く分からないもの…
「片」→?
漢字の羅列→?
歌の歌詞→?
あのセット、もっとよく見ておけば良かったと、こんなに思ったことはない(笑)。
まず、「かたつむり」なんてキーワード、1度もお芝居の中で使われなかったので、あ、この言葉は全然関係ないんだ、と思ってしまったのが罠でした(笑)。
もしかして、「引きこもり」?という考えが浮かんだのは、舞台を見た翌日の朝のことでした。
こればかりは、楽屋裏ブログの力を期待(笑)(都合のいいとこだけ!)
この作品、演出が目を見張るほど素晴らしいな、と思いました。
こんなに素晴らしい演出が出来る人が居るんだ、と思ったのは、鈴木つかさ兄さんに次いでの2人目かもしれません。
7人それぞれに、「テーマ曲」のように1人1人に音楽が用意されているところであったりとか、とにかく「音楽」の使い方が絶妙過ぎて脱帽です。
不安なシーンで緑色の照明を使うのは、おお、つかさ兄さん!と思わずにはいられませんでしたが(笑)。
照明も、音楽も、ただただ、細部にわたる演出が素晴らしくて…。
ただ、それでも難をひとつだけ。
なぜ、神保町で見る「映像を使ったオープニングVTR」は、あんなにもお粗末な出来ばかりなのでしょうか。
今回の「オーディション」では、そもそも「そのオープニング、要りました?」と思うほどお粗末で。
恐らくは、森木さんの着替える時間を稼ぐために、必要だったのかもしれません。
ただ…ただ……嗚呼、本当に、お芝居の「オープニング」って、ほんっとうに重要なんです!
これひとつで、どれほどそのお芝居の完成度がグッと違ってくるか…!!
別に「オープニング」は、必要が無ければ「オープニング自体無い」で、全く構わないのです。
ただ、「オープニング」を入れるのならば、それならばもう少し、凝ったことは出来なかったのか、と…。
過去わたしが見た中で、「映像のみのオープニングVTR」を使っていた公演は、
・東北ラブストーリー
・ヒロイックシンドローム
・台風クラゲ
だったのですが、「東北ラブストーリー」と「ヒロイックシンドローム」は、本当にお粗末な出来のVTRで…。
なので、「台風クラゲ」のオープニングVTRを見たときには、目からウロコがポロポロとこぼれ落ちました。
神保町で、こんなに凝ったオープニングVTRを見たのが、初めてだったからです。
「台風クラゲ」の演出の方に、メールで尋ねたところ、その方が所属している劇団の公演では、いつも映像を使ったオープニングを流しているので、「台風クラゲ」のVTRも、その映像を作っている人に作成をお願いした、と。
餅は餅屋。
やはり映像のことは、その道の人がもっとも心得ているのでしょうか。
お芝居において、「オープニング」って本当に大切です。
「オーディション」も、「オープニングVTR」が必要であったのならば、それなりに凝ったものにして頂きたかった、もしくは潔く、別の方法で時間を稼ぐなりして、オープニングを無しにして貰いたかったな、と思いました。
「オープニング」を舐めてはいけない、と、この公演で強く感じました。
それは、やっぱりこの「オーディション」というお芝居が、本当に中身の詰まった、素晴らしいものだったからこそ、そう思うのです。
ぶっちゃけこの公演、マーくん目当てに(笑)、そして他に出演している芸人も、みんな好きな人ばかりだったので、演者目当てで見に行きました。ラフコン主演、それなりに、まあそこそこの話が見れれば良いかな、ぐらいの気持ちで。
そこにこれをぶつけられたのです、もう、ビックリすると同時に、大満足して帰ることが出来ました。
なんと考えさせられるお芝居だろうか。
こんなにも歯ごたえがあって、骨太の、中身の詰まった公演を見ることが出来て、本当に嬉しかった。
やっぱりまだまだ、「神保町は、ひよっこの劇場」というイメージが、わたしのなかにはあったみたいです。
その劇場で、ここまでずしっと手応えのあるボールを受け取ることが出来た、ということが、わたしには驚きでしたし、そして、本当に嬉しかった。
神保町も、舐めたらいけないんだなぁ、って思いました。
うん、まさか神保町で、ホラーが見れるとは思っていなかった、というのもあります。
初めて見る、森木さんのただならぬ演技力に、ただただ圧倒された、というのもあります。
結局…結局、ね。
集められた7人のうち、1人は亡くなり、残りの6人は、あんな思いをしたけれど、それでもどん底から這い上がって、それぞれ自分なりに夢を追い、罪を償い、生きて…。
その「やさしさ」が、わたしが「黒川」のことが「怖くなくなった」理由だと思うのです。
見ているときは、黒川のことが、あんなに怖かったのに。
みんな、更生することが出来た。
その様子を見ていたら、黒川が悪い人だとは、決して思えなくなってくるんですね。
例えば岡部さんを例に挙げれば、わたしは本当に、あんなことを言われ、彼はもう、絶対に立ち直ることは出来ないだろう、と思っていたんです。
ああ、彼は自分の夢を否定され、もう二度とその夢を追うことは無いだろうし、一生罪の意識に苛まされ、生きていくのだろう、と。わたしはそう思ったんです。
それは他の6人も同じで…。
奈落の底まで、叩き落されて…
でも、そこから這い上がることが出来る、その力を持っているのが、人間なんだな…、って思いました。
人は罪を犯す。過ちを犯す。
けれど、その罪を、過ちを、受け止め、乗り越えて成長していくことが出来るのもまた、人間なのだ、と。
「7人」の様子に、ただただ、わたしはその思いを噛み締めていました。
なんていうかな、
やっぱり最後はそういう風に、「ハッピー」な感じで終わるところが、やっぱりこれが「神保町」だからなのかな、と思ってしまいました。
いや、「仇男」や「地上最低のショウ」を思った時に、もしこれが久馬さんだったら、あの最後を、どうしただろうな、と思って…。
もしかしたら、あの7人をずたぼろに叩きのめしたまま、そのまま終わるというストーリーも、あったかもしれない。
けれど、このお芝居では、それをしなかった。
このお芝居では、人は更生出来る、一度道を外れた人間であっても、過去の過ちを悔い改め、新しい道を踏み出すことが出来る、そういう締めくくりになっている。
だから、それが伝えたい「お芝居」だったんだろうなぁ…、と…。
で。
1人だけ亡くなってしまった、関根さんの役が、非常に不憫でならないのはわたしだけでしょうか。
他の6人は新たな道を歩いているというのに、彼1人は、命を絶たれたのです。
生きることすら、許されなかったのが、彼なのです。
彼1人だけが亡くなってしまったことについて、わたしは終演後、かなりもやもやしたものを感じました。
彼は、集められた7人のうち、ただ1人、唯一「殺人」を犯してしまった人だったから…?
だから、彼には「更生」する道ではなく、「死」という選択しか無かったというのだろうか…?
…「罪」に、「重い」も「軽い」もあるの?(岡部さんの「罪」が、傍から見ればとても「軽い」ように見えて…けれど、実際はとても「重い」罪であったように。)
硫酸入り水鉄砲で怪我を負ったのが彼だけというのも、その時点で「気づけ」ということだったのかもしれませんね…。
もっと早く気がつけば、黒川も、彼に「更生」の道を与えたかもしれない。
しかし、やはり…命を奪われた人が1人、居る。
このことが、ほんの少しだけ、引っかかるところではあるのです。
6人が「許し」で明るい未来を見たのに対して、彼は「極刑」という地獄。
この差が、どうにもアンバランスに感じるからでしょうか。
あとは、このお芝居、本当に素晴らしい脚本だったのですが、途中の「懺悔」というか、「罪の告白」のシーンが、「語り×7回」というのは余りにもダレてしまうなと。
もう既に、ここに集められた全員に「罪」があることは、見ている側には分かります。(実際は、さっくんだけが違ったとは言え。)その罪の告白の仕方が、いかんせん全員同じパターン…。
そこさえもう少し、メリハリのあるものだったら良かったな、と。
引っかかった点は、そこだけです。
とにかく、素晴らしかった。
「オーディション」、見に行って本当に良かったです。
大満足で劇場をあとにすることが出来ました。
本当にありがとうございました。
無作為に集められた、何の共通点も無い男たち
そして、暴かれる過去と罪
こういうシチュエーションはよくあるのだろうか、なのでわたしはこれ、集められた7人は、全員森木さんを過去に虐めていたんじゃないのかな、と思ったぐらいでした。(話が混ざる…。)
けれど、なんというか、「オーディション」という話はすごく…語弊があるかもしれない言い方をすると、「メルヘン」な話だった。
舞台を見ているときは、とにかく森木さんの恐ろしさ、彼への恐怖がすごく強かった。
でも、舞台を見終わったあと、しばらくして考えると…森木さんのことが、全く怖くなくなっていました。
むしろ、彼は「良い人」だったんだな、って。だって、本当に怖いのは、彼じゃない。本当に怖いのは、知らず知らずのうちに、1人の女性とその周りをめちゃくちゃにした、重岡さんたち7人のほうだから。
さっくんは、恐らく本当に、彼女が「お礼を言いたい」から、森木さんに頼んで来て貰ったのでしょうね。彼1人だけは、目的は「罪滅ぼし」ではなく、多分純粋に、「お礼」が言いたかっただけだったんだろうな…、と。(まあ、それにしては、とんでもなく恐ろしい目に合わせているような気もしますけれどね…笑)
森木さんの存在自体が、その正体が明かされない、謎のもの…架空のものであったからこそ、なんだかわたしは、この話の印象を、「メルヘン」だな、って受け取りました。
DVD化はあり得ないだろうな、と思うので、どんどんネタはバラします。
既成曲をこれでもかと言うほど使用していたこと、放送禁止用語を連呼したことで、ああ、こんなにも「映像化」を嫌がっているお芝居というのも、珍しいなぁと思って。
そういう意味でも、このお話を見ることが出来て、本当に良かったです。
一番はやはり、森木さんによる、目を見張る演技力でした…。
正直、ほんとに、森木さんがこれほどの演技力の持ち主だなんて、全く想像もしていませんでした。本当に怖くて、もの凄いオーラで、普段の漫才だとかトークだとかでは、全く知る由もなかった一面で、ぞくぞくしました。
いくつか、チラホラと感想を見ていくうちに、やはり皆さんが気になっている点を挙げると、
・結局、森木さんの正体は何だったのか
・工藤さんが重岡さんに渡した、「ゴミ」は一体なんだったのか
・セットに書かれた文字に、意味はあったのか
まず「森木さんの正体」
友人は、「死神」みたいなものじゃないかなと思った、と。
彼については、「お前は一体何者なんだ」という問いかけに、「何者でもない」と答えるシーンがあって、多分、本当にそうなんだろうなぁ、と。彼は「人間」でもなければ「死神」でもない、「何者でもない」存在なんじゃないのかな、って。
わたしは考えていくうちに、「死神」というよりは、「裁判官」みたいなものかなぁ、と思うこともあって。
友人が森木さんの衣装について話しているときに、「裁判長みたいな服…」と言っていたんですね。
彼は確かに、「罪」を裁いていた。
恐らく彼の正体を、もっとも的確に表す単語は「死神」だとは思うのですが、
わたしがイメージしている「死神」と、森木さんが演じた「それ」は、なんか、イメージが違うんです。
だからわたしは、あんまり「黒川」=「死神」だとは、結びつかなくて。
彼の正体は、頼むから楽屋裏ブログで、あまり明確にしないで欲しいなぁ…、というのがわたしの願いです。明かされないからこそ、この話の美しさは引き立つものだと思うから。
彼の正体は、みんなが思ったそれぞれで良いんじゃないのかな、と思うわけです。
最後に一切説明が無かった、工藤さんが重岡さんに手渡す「ゴミ」についても、そうです。
結構、最近の舞台を見ていると、なんでもかんでもお芝居の中で「説明」してしまう節が多く見受けられて、だけどこの「オーディション」というお芝居では、潔いほどきっぱりと、何も説明をしない。
本当に素晴らしい脚本だと思った。
変に説明するよりも、謎を含ませ、考えさせて。
「分かった」ときの、あの感覚が、本当に大好きで。
美しいな、と思った。
一番最初に、集められた7人がバスに乗るときの、「運転手」。
この「運転手」は、何者だったんでしょうね。
実はこれも、友人とわたしの感想は違っていて、
友人は「黒川の弟のようなもの、部下のようなもの」、つまり、「黒川」と「運転手」は別人だと思ったと話してくれました。
わたしは、「運転手」と「黒川」は、同一人物だと解釈していました。
「黒川」の姿だって、7人の前に現れる為の仮の姿であって、彼の本来の姿はきっと別のものなのじゃないかな、とわたしは思っていて。つまり、時と場合によって、彼は「運転手」にもなるし、「黒川」にもなる。どんな姿にでも化けられるのではないのかな、と。
工藤さんが重岡さんに渡した「ゴミ」は、
たまごっち、なのでしょうね。
「あれは何だったのか」という話になって、友人がそれを言い当てた瞬間、電車の中だというのに大声で「あっ、そうか!!」と叫んだのはわたしです(笑)。
わたしは「チョコレート」だと思っていました(笑)。
「初めて作った」って言ってたし、だいぶ不細工に出来てしまったチョコレートが、あれだったのかなあ、と。
だけど、「たまごっち」だったと考えたほうがスムーズです、「たまごっち」じゃなくちゃ、あのとき重岡さんが、わざわざ「たまごっち」を落とすというシーンそのものの必要性がありません。
そして、工藤さんの家は燃えている。
大事な写真も燃え…
大事なたまごっちは、燃えて炭になった。
だから、「ゴミ」。
家が火事になり、燃えて炭になったから、ああいう色、形だったんですね…。
…なんか、そんなになってまで(全く原型を留めないまでになってしまったのに、)大切な「たまごっち」を、カバンに入れて持ち歩いている工藤さんが、切ない…。
「もう少し、生きようと思った。けれど、あなたに会って、気が変わってしまった」
セットに書かれた文字について、とりあえず友人の力も借りて(笑)解読できたもののみ。
「愛」→マーくんの恋人のこと
「バリアフリー」→工藤さんの父親の経営する、バリアフリーのコンビニのこと
…ここから、こじつけ入ります…
「かたつむり」→引きこもりのこと
「煮たまご」→コンビニのおでん、もしくは「たまごっち」
…全く分からないもの…
「片」→?
漢字の羅列→?
歌の歌詞→?
あのセット、もっとよく見ておけば良かったと、こんなに思ったことはない(笑)。
まず、「かたつむり」なんてキーワード、1度もお芝居の中で使われなかったので、あ、この言葉は全然関係ないんだ、と思ってしまったのが罠でした(笑)。
もしかして、「引きこもり」?という考えが浮かんだのは、舞台を見た翌日の朝のことでした。
こればかりは、楽屋裏ブログの力を期待(笑)(都合のいいとこだけ!)
この作品、演出が目を見張るほど素晴らしいな、と思いました。
こんなに素晴らしい演出が出来る人が居るんだ、と思ったのは、鈴木つかさ兄さんに次いでの2人目かもしれません。
7人それぞれに、「テーマ曲」のように1人1人に音楽が用意されているところであったりとか、とにかく「音楽」の使い方が絶妙過ぎて脱帽です。
不安なシーンで緑色の照明を使うのは、おお、つかさ兄さん!と思わずにはいられませんでしたが(笑)。
照明も、音楽も、ただただ、細部にわたる演出が素晴らしくて…。
ただ、それでも難をひとつだけ。
なぜ、神保町で見る「映像を使ったオープニングVTR」は、あんなにもお粗末な出来ばかりなのでしょうか。
今回の「オーディション」では、そもそも「そのオープニング、要りました?」と思うほどお粗末で。
恐らくは、森木さんの着替える時間を稼ぐために、必要だったのかもしれません。
ただ…ただ……嗚呼、本当に、お芝居の「オープニング」って、ほんっとうに重要なんです!
これひとつで、どれほどそのお芝居の完成度がグッと違ってくるか…!!
別に「オープニング」は、必要が無ければ「オープニング自体無い」で、全く構わないのです。
ただ、「オープニング」を入れるのならば、それならばもう少し、凝ったことは出来なかったのか、と…。
過去わたしが見た中で、「映像のみのオープニングVTR」を使っていた公演は、
・東北ラブストーリー
・ヒロイックシンドローム
・台風クラゲ
だったのですが、「東北ラブストーリー」と「ヒロイックシンドローム」は、本当にお粗末な出来のVTRで…。
なので、「台風クラゲ」のオープニングVTRを見たときには、目からウロコがポロポロとこぼれ落ちました。
神保町で、こんなに凝ったオープニングVTRを見たのが、初めてだったからです。
「台風クラゲ」の演出の方に、メールで尋ねたところ、その方が所属している劇団の公演では、いつも映像を使ったオープニングを流しているので、「台風クラゲ」のVTRも、その映像を作っている人に作成をお願いした、と。
餅は餅屋。
やはり映像のことは、その道の人がもっとも心得ているのでしょうか。
お芝居において、「オープニング」って本当に大切です。
「オーディション」も、「オープニングVTR」が必要であったのならば、それなりに凝ったものにして頂きたかった、もしくは潔く、別の方法で時間を稼ぐなりして、オープニングを無しにして貰いたかったな、と思いました。
「オープニング」を舐めてはいけない、と、この公演で強く感じました。
それは、やっぱりこの「オーディション」というお芝居が、本当に中身の詰まった、素晴らしいものだったからこそ、そう思うのです。
ぶっちゃけこの公演、マーくん目当てに(笑)、そして他に出演している芸人も、みんな好きな人ばかりだったので、演者目当てで見に行きました。ラフコン主演、それなりに、まあそこそこの話が見れれば良いかな、ぐらいの気持ちで。
そこにこれをぶつけられたのです、もう、ビックリすると同時に、大満足して帰ることが出来ました。
なんと考えさせられるお芝居だろうか。
こんなにも歯ごたえがあって、骨太の、中身の詰まった公演を見ることが出来て、本当に嬉しかった。
やっぱりまだまだ、「神保町は、ひよっこの劇場」というイメージが、わたしのなかにはあったみたいです。
その劇場で、ここまでずしっと手応えのあるボールを受け取ることが出来た、ということが、わたしには驚きでしたし、そして、本当に嬉しかった。
神保町も、舐めたらいけないんだなぁ、って思いました。
うん、まさか神保町で、ホラーが見れるとは思っていなかった、というのもあります。
初めて見る、森木さんのただならぬ演技力に、ただただ圧倒された、というのもあります。
結局…結局、ね。
集められた7人のうち、1人は亡くなり、残りの6人は、あんな思いをしたけれど、それでもどん底から這い上がって、それぞれ自分なりに夢を追い、罪を償い、生きて…。
その「やさしさ」が、わたしが「黒川」のことが「怖くなくなった」理由だと思うのです。
見ているときは、黒川のことが、あんなに怖かったのに。
みんな、更生することが出来た。
その様子を見ていたら、黒川が悪い人だとは、決して思えなくなってくるんですね。
例えば岡部さんを例に挙げれば、わたしは本当に、あんなことを言われ、彼はもう、絶対に立ち直ることは出来ないだろう、と思っていたんです。
ああ、彼は自分の夢を否定され、もう二度とその夢を追うことは無いだろうし、一生罪の意識に苛まされ、生きていくのだろう、と。わたしはそう思ったんです。
それは他の6人も同じで…。
奈落の底まで、叩き落されて…
でも、そこから這い上がることが出来る、その力を持っているのが、人間なんだな…、って思いました。
人は罪を犯す。過ちを犯す。
けれど、その罪を、過ちを、受け止め、乗り越えて成長していくことが出来るのもまた、人間なのだ、と。
「7人」の様子に、ただただ、わたしはその思いを噛み締めていました。
なんていうかな、
やっぱり最後はそういう風に、「ハッピー」な感じで終わるところが、やっぱりこれが「神保町」だからなのかな、と思ってしまいました。
いや、「仇男」や「地上最低のショウ」を思った時に、もしこれが久馬さんだったら、あの最後を、どうしただろうな、と思って…。
もしかしたら、あの7人をずたぼろに叩きのめしたまま、そのまま終わるというストーリーも、あったかもしれない。
けれど、このお芝居では、それをしなかった。
このお芝居では、人は更生出来る、一度道を外れた人間であっても、過去の過ちを悔い改め、新しい道を踏み出すことが出来る、そういう締めくくりになっている。
だから、それが伝えたい「お芝居」だったんだろうなぁ…、と…。
で。
1人だけ亡くなってしまった、関根さんの役が、非常に不憫でならないのはわたしだけでしょうか。
他の6人は新たな道を歩いているというのに、彼1人は、命を絶たれたのです。
生きることすら、許されなかったのが、彼なのです。
彼1人だけが亡くなってしまったことについて、わたしは終演後、かなりもやもやしたものを感じました。
彼は、集められた7人のうち、ただ1人、唯一「殺人」を犯してしまった人だったから…?
だから、彼には「更生」する道ではなく、「死」という選択しか無かったというのだろうか…?
…「罪」に、「重い」も「軽い」もあるの?(岡部さんの「罪」が、傍から見ればとても「軽い」ように見えて…けれど、実際はとても「重い」罪であったように。)
硫酸入り水鉄砲で怪我を負ったのが彼だけというのも、その時点で「気づけ」ということだったのかもしれませんね…。
もっと早く気がつけば、黒川も、彼に「更生」の道を与えたかもしれない。
しかし、やはり…命を奪われた人が1人、居る。
このことが、ほんの少しだけ、引っかかるところではあるのです。
6人が「許し」で明るい未来を見たのに対して、彼は「極刑」という地獄。
この差が、どうにもアンバランスに感じるからでしょうか。
あとは、このお芝居、本当に素晴らしい脚本だったのですが、途中の「懺悔」というか、「罪の告白」のシーンが、「語り×7回」というのは余りにもダレてしまうなと。
もう既に、ここに集められた全員に「罪」があることは、見ている側には分かります。(実際は、さっくんだけが違ったとは言え。)その罪の告白の仕方が、いかんせん全員同じパターン…。
そこさえもう少し、メリハリのあるものだったら良かったな、と。
引っかかった点は、そこだけです。
とにかく、素晴らしかった。
「オーディション」、見に行って本当に良かったです。
大満足で劇場をあとにすることが出来ました。
本当にありがとうございました。
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