カテゴリーで公演名を確認して下さいませ。
とおし番号(1、2…)がある場合は、順番に読むと良いことがあるかも…、
もとい、順番になっています。
もっと読みたいものは、「つづきはこちら」からどうぞ。
+ + + + + + + + + +
「ありがとう」
が出てこないんです。
ずっと花火のメッセージを聞いていましたが、わたしは、「奥さんに対して、“ありがとう”の言葉が無かった」、と思ったことを覚えています。
そして2日目。同じシーン。
「こんな俺を、支えてくれて、今までありがとう」
わたしの記憶を信じるのならば、「ありがとう」という言葉は、2日目から足されたものだと思うんです。
だって、初日を見たあと、本当に思い返してはさみしかったんです。
どうして、奥さんに対して、「ありがとう」の言葉を言わなかったの?って。
あなたは今から死んでしまう。そして、そんなあなたをここまで支えてきた、最後にメッセージを残したい相手、「最愛の人」。
その相手に。どうして最後に、死ぬときに、「ありがとう」が言えなかったんだろう?って思って。
奥さんは、花火のことを信じて「支えてくれた」。
花火のことを、誰よりも信じてくれているその人に対して、どうして花火は、その人のことを信じてあげられないの?
2日目を見終わって、そして足された「ありがとう」の言葉を思い返して、今となって思うことは。
「ありがとう」が言えない、それこそが、万年前説芸人の、花火の一番の「弱さ」だったんだろうな、って。
ビクビクして、おどおどして、自信がなくて逃げてばかりいて。
そんな花火が、もっとも最大の「弱さ」をみせてしまったのが、窮地に陥った、死ぬ間際の言葉だったんだ。
今まで弱かった人が、急に、一気に強くなんかなれない。
吹っ切れても、花火は花火だった。
根柢にあった、「奥さんへの思い」は、一緒だったんだ。
それは、ただひたすら、謝罪の気持ち。
「逃げ回っているような、こんな自分でごめん」、と。「結婚式が挙げられなかった」ことへの、後悔と。
自分が死ぬときに、最愛の人に残したのは、「ごめん」という謝罪の言葉。
「ありがとう」ではなく、「ごめん」。
これこそが、花火がどれだけ弱い人間なのか、その証明だったんだなぁ、って。
ただ、ね。
別に花火を責めている訳では、無いんです。
これはとても想像することが難しいけれど、
もしかして、自分が生放送の番組の観覧をしていて、そこにテロリストが乱入して、わたしが人質になってしまって、見せしめで殺されることになって、最後に1分だけ、カメラの前で、この生放送を見ているかもしれない、わたしの大切な人に、メッセージを残す、
っていう状況になったら。
まずわたしは、
「ごめんなさい」
って言うと思う。
その「ごめんなさい」は、「親より先に死んで、ごめんなさい」っていう気持ち。
「テロリストに捕まって、なんの親孝行も出来ず、死んでしまってごめんなさい」って。
「産んでくれて、ありがとう」より、先に出てきてしまうことは、
「何も出来なくて、ごめんなさい」だと思う。
ここで死んでしまうのなら、もっと色々、やっときゃ良かった。そんな後悔で、いっぱいになると思う。
今から死ぬよ、っていうときに、
「ありがとう」って言うのは、
実際は、もの凄く、もの凄く度胸がいって、本当に強くなくちゃ、言えないセリフなんじゃないのかな、って思った。
簡単に「“ありがとう”って言ってほしかった」、って言ってるけれど。わたしだったら?って考えたときに、もし、わたしだったら、“ありがとう”って、言えないかもしれない。
これは、とても想像することが難しいことだけれども。
そう思ったら、花火が「ありがとう」って言えなかったことは、現実に花火は「弱い」人間だし、それは当たり前のことだったのだと思う。
ただ、見ていたときは、花火が最後に残す「言葉」を、「生放送」の、視聴者のひとりとして、息を詰めて見守っていた、そのときは、凄くさみしかったけれど。
そうか、最後に奥さんに伝えたいことが、「ごめん」、なんだな、って。
そう思ったら、すっごく寂しかったし、「ごめん」としか言えなかった花火が、切なかった。
初日の、「ごめん」か。
2日目以降の、「ありがとう」か。
どちらが本当の花火の言葉だったのか、それはとても難しいことだな、って思います。
が出てこないんです。
ずっと花火のメッセージを聞いていましたが、わたしは、「奥さんに対して、“ありがとう”の言葉が無かった」、と思ったことを覚えています。
そして2日目。同じシーン。
「こんな俺を、支えてくれて、今までありがとう」
わたしの記憶を信じるのならば、「ありがとう」という言葉は、2日目から足されたものだと思うんです。
だって、初日を見たあと、本当に思い返してはさみしかったんです。
どうして、奥さんに対して、「ありがとう」の言葉を言わなかったの?って。
あなたは今から死んでしまう。そして、そんなあなたをここまで支えてきた、最後にメッセージを残したい相手、「最愛の人」。
その相手に。どうして最後に、死ぬときに、「ありがとう」が言えなかったんだろう?って思って。
奥さんは、花火のことを信じて「支えてくれた」。
花火のことを、誰よりも信じてくれているその人に対して、どうして花火は、その人のことを信じてあげられないの?
2日目を見終わって、そして足された「ありがとう」の言葉を思い返して、今となって思うことは。
「ありがとう」が言えない、それこそが、万年前説芸人の、花火の一番の「弱さ」だったんだろうな、って。
ビクビクして、おどおどして、自信がなくて逃げてばかりいて。
そんな花火が、もっとも最大の「弱さ」をみせてしまったのが、窮地に陥った、死ぬ間際の言葉だったんだ。
今まで弱かった人が、急に、一気に強くなんかなれない。
吹っ切れても、花火は花火だった。
根柢にあった、「奥さんへの思い」は、一緒だったんだ。
それは、ただひたすら、謝罪の気持ち。
「逃げ回っているような、こんな自分でごめん」、と。「結婚式が挙げられなかった」ことへの、後悔と。
自分が死ぬときに、最愛の人に残したのは、「ごめん」という謝罪の言葉。
「ありがとう」ではなく、「ごめん」。
これこそが、花火がどれだけ弱い人間なのか、その証明だったんだなぁ、って。
ただ、ね。
別に花火を責めている訳では、無いんです。
これはとても想像することが難しいけれど、
もしかして、自分が生放送の番組の観覧をしていて、そこにテロリストが乱入して、わたしが人質になってしまって、見せしめで殺されることになって、最後に1分だけ、カメラの前で、この生放送を見ているかもしれない、わたしの大切な人に、メッセージを残す、
っていう状況になったら。
まずわたしは、
「ごめんなさい」
って言うと思う。
その「ごめんなさい」は、「親より先に死んで、ごめんなさい」っていう気持ち。
「テロリストに捕まって、なんの親孝行も出来ず、死んでしまってごめんなさい」って。
「産んでくれて、ありがとう」より、先に出てきてしまうことは、
「何も出来なくて、ごめんなさい」だと思う。
ここで死んでしまうのなら、もっと色々、やっときゃ良かった。そんな後悔で、いっぱいになると思う。
今から死ぬよ、っていうときに、
「ありがとう」って言うのは、
実際は、もの凄く、もの凄く度胸がいって、本当に強くなくちゃ、言えないセリフなんじゃないのかな、って思った。
簡単に「“ありがとう”って言ってほしかった」、って言ってるけれど。わたしだったら?って考えたときに、もし、わたしだったら、“ありがとう”って、言えないかもしれない。
これは、とても想像することが難しいことだけれども。
そう思ったら、花火が「ありがとう」って言えなかったことは、現実に花火は「弱い」人間だし、それは当たり前のことだったのだと思う。
ただ、見ていたときは、花火が最後に残す「言葉」を、「生放送」の、視聴者のひとりとして、息を詰めて見守っていた、そのときは、凄くさみしかったけれど。
そうか、最後に奥さんに伝えたいことが、「ごめん」、なんだな、って。
そう思ったら、すっごく寂しかったし、「ごめん」としか言えなかった花火が、切なかった。
初日の、「ごめん」か。
2日目以降の、「ありがとう」か。
どちらが本当の花火の言葉だったのか、それはとても難しいことだな、って思います。
花火がテロリストに銃口を向けられたとき、
マーさん、汗だくなんですね。前の芝居で動き回ったり喋り倒したり、ボケるカリカ・オコチャさんにツッコミ入れたり、色々してましたから。
「嫁へのメッセージ」を言い終えて、さあ、もう「花火」が死んでしまう。
そのとき、マーさんが固く目を閉じた、そのとき…
ほろり、と、一粒。
片方の目から、涙がこぼれ落ちたんです。
それは初日の話で。
たった一粒の涙が、もの凄くリアルで、テロリストへの恐怖心がもの凄くズキッと来て、「嫁への最後の言葉」でもう、泣きそうだったのに、もらい泣きしそうになりました。
「大江戸花火」という、ひとりの「芸人」を、少しだけ見てきましたが、
こんなに短い間でわたしは、確実に、「大江戸花火」という「芸人」の、ファンになっていました。
だから、「死なないでくれ」、と。
「最後のメッセージ」を見守りながら、ただひたすらに、どうか花火が、死なないように、と。結婚式、絶対に挙げるんだろ?大切な人を、残しているんだろ?だったら、死んじゃだめだ!絶対に、死んじゃいけない!って思って。
特にこの前のシーンでは、花火が言うんです、「この中で、一番殺されてもいいのは、僕だから」って。
お前…!!
自分をそんなに卑下するんじゃねーよ!って思いました。
なんでここに、「花火」を応援したい、って思っている人がいるのに、なんで花火のことを、支えてくれている奥さんがいるのに、「殺されてもいい」だなんて言うんだ!って。たった1人でも、確実に花火のことを思ってくれている人がいる、それなのに「殺されてもいい」だなんて、絶対に言っちゃいけない!って思って。
だから、心の底から願っていたんです。どうか、花火が死にませんように、と。気がついたら、心の底から、「大江戸花火」という、ひとりの人間が、どうか助かりますように、と。「大江戸花火」という存在が、どうかこの世から消えませんように、と。
心の底から願っていました。
だから、花火が助かったときには。
結婚式、絶対に挙げて欲しい、と。
花火には、これから絶対に、幸せになってほしい、と。
そう思いました。
たった一粒、マーさんが流した涙は、忘れられません。
死に際に、頬にこぼれたひとすじの涙は、凄く、すごくリアルで、本当に凄かったんです。
(この初日の「涙」があったから、わたしは、初日の「ごめん」と2日目以降の「ありがとう」でも、初日の「ごめん」を忘れられないのかもしれません。)
この後、「ドッキリだよー」って明かすあべちゃんは、思いっきり泣いているマーさんの顔を見るシーンがあって、見ているこっちがドキドキしてしまいました。
テロリストのシーンでは、本当に全員、演技がリアル過ぎて。
カリカの家城さんが顕著で、初日は驚愕して腰を抜かして立てない。2日目は怖くて半泣きでした。(本当に。本当に泣いているのかと思いました。)
「お芝居」です。「演技」です。テロリストは、「赤枝さん」なんです(笑)。
なのに、とにかく全員の驚き、混乱、「テロリスト」に対する恐怖心。それが余りにも凄すぎて、「あれっ、これってお芝居じゃなかったっけ!?あれっ、これ、ホントにテロリスト!?」って、ぐいぐい向こうのペースに引き込まれてしまったんです。
だから、わたしは本当に花火さんに、心から「死ぬな」って願うことが出来たんだろうなぁ、って思います。
ちなみに家城さん、2日目からは、テロリストが「解放」を知り、逃げる際、なんと「死ねーッ!」とテロリストが走り去った方角に向かって叫ぶ、というオプションが加わりました(笑)。(3日目は、「不幸に死ねー!」だった、というレポを見ました。)
なんというか、この家城さんの絶叫で、見ていたこちらは一気に緊張が緩んだというか…。感情がもの凄く素直なブッチ君だから、ああいうセリフを言っても、全部「あり」になってしまうのが凄いなぁ、と。ああ、よかった、居なくなったんだ、テロリスト…、そしてブッチ君、君はもの凄くストレートにものを言うね…(笑)、みたいな…。
あの叫びの効果は絶大でした…。
前半思いっきり笑っていただけに、テロリスト乱入後の「緊張」はハンパなくって。そしてテロリスト逃走後の「緩和」。
素晴らしいんですよ、このさじ加減…。
カリカは本当に凄くて、家城さんなんて、一番最初に、「登場しただけ」で会場が笑っていました。
これは凄い、と、思いました。
別に、何もおもしろいことを喋っている訳ではないのに、会場が笑ってる(笑)。
このインパクト、存在感、カリスマ性は、本当に天性のものだな、と。
ただただ、ひたすら、「凄い」としか思えなかったです。
他の褒め言葉なんて、出てきません。ただただ、「凄い」んです。圧倒されてしまって。
林さんも凄かった、感情が常に「怒」にあるような高橋キャスターの役、とにかく怒りの沸点に到達するのが目に見えて分かって、セリフひとつとっても感情が乗っているので重みがあるし、2日目、ブッチに対して怒るシーンで、熱演する余り腰を抜かした、ってのは前にも書いたんですが、何、この気の入れようは!?って、ビックリしたんです。
そこまで熱演しなくっても、お客さんには「怒」の感情が、伝わるんじゃないの!?って思ったぐらい、凄くて。
でも、そんな阿呆みたいなところで、演技に一切手を抜かない、妥協しない林さんは、もう本当に、ただただ、ひたすら凄くて。
2日目はみるみるうちに顔が赤くなっていって、息して!!息して林さん!!って思った(笑)。
本当に、凄かった。カリカのお2人の底力は、並大抵のもんじゃなかった、ハンパなかった。
だからこその、カリカの2人のやりとり、高橋キャスターとブッチのやりとりは、見ていて舞台上での迫力が(2人しか居ないのに)凄くて、ゾクゾクしました。
それは「カリカ」のやり取りなのに、舞台上で、もの凄い大物2人が、まさかの夢の共演をしているような、そんなド迫力を感じさせました。
生放送中、他の出演者を楽しそうにみている中村ディレクターの目。
これがまた、素晴らしかった。
花火に指示を出し、ブッチに「煽れ!」とけしかけ、そんな風に生放送を見守っていた中村ディレクターを演じたあべちゃんの、目が。
すごく、すっごく、キラキラ輝いていた。
この「目」を見た時には、またなんというか、感動が背中を走り抜けました。
ああ、中村ディレクターは、本当に楽しいんだ。本当に、この「生放送」を楽しんでいるんだ。この番組は、確実におもしろくなる。だって、自分の手で、おもしろい番組を作っているのだから。
やっとチャンスを掴んだ、「自分の企画」を流せる機会。自分が作った番組が、絶対におもしろくなることを知っている、底知れぬ自信と、ただただ、番組を「楽しんでいる」、子どものようなキラキラと輝く目。
素晴らしかったんです、あべちゃん。
あべちゃんが演技している、「中村ディレクター」では無くて。
「生放送」を楽しむ中村ディレクターが、そこには居たんだから。
マーさん、汗だくなんですね。前の芝居で動き回ったり喋り倒したり、ボケるカリカ・オコチャさんにツッコミ入れたり、色々してましたから。
「嫁へのメッセージ」を言い終えて、さあ、もう「花火」が死んでしまう。
そのとき、マーさんが固く目を閉じた、そのとき…
ほろり、と、一粒。
片方の目から、涙がこぼれ落ちたんです。
それは初日の話で。
たった一粒の涙が、もの凄くリアルで、テロリストへの恐怖心がもの凄くズキッと来て、「嫁への最後の言葉」でもう、泣きそうだったのに、もらい泣きしそうになりました。
「大江戸花火」という、ひとりの「芸人」を、少しだけ見てきましたが、
こんなに短い間でわたしは、確実に、「大江戸花火」という「芸人」の、ファンになっていました。
だから、「死なないでくれ」、と。
「最後のメッセージ」を見守りながら、ただひたすらに、どうか花火が、死なないように、と。結婚式、絶対に挙げるんだろ?大切な人を、残しているんだろ?だったら、死んじゃだめだ!絶対に、死んじゃいけない!って思って。
特にこの前のシーンでは、花火が言うんです、「この中で、一番殺されてもいいのは、僕だから」って。
お前…!!
自分をそんなに卑下するんじゃねーよ!って思いました。
なんでここに、「花火」を応援したい、って思っている人がいるのに、なんで花火のことを、支えてくれている奥さんがいるのに、「殺されてもいい」だなんて言うんだ!って。たった1人でも、確実に花火のことを思ってくれている人がいる、それなのに「殺されてもいい」だなんて、絶対に言っちゃいけない!って思って。
だから、心の底から願っていたんです。どうか、花火が死にませんように、と。気がついたら、心の底から、「大江戸花火」という、ひとりの人間が、どうか助かりますように、と。「大江戸花火」という存在が、どうかこの世から消えませんように、と。
心の底から願っていました。
だから、花火が助かったときには。
結婚式、絶対に挙げて欲しい、と。
花火には、これから絶対に、幸せになってほしい、と。
そう思いました。
たった一粒、マーさんが流した涙は、忘れられません。
死に際に、頬にこぼれたひとすじの涙は、凄く、すごくリアルで、本当に凄かったんです。
(この初日の「涙」があったから、わたしは、初日の「ごめん」と2日目以降の「ありがとう」でも、初日の「ごめん」を忘れられないのかもしれません。)
この後、「ドッキリだよー」って明かすあべちゃんは、思いっきり泣いているマーさんの顔を見るシーンがあって、見ているこっちがドキドキしてしまいました。
テロリストのシーンでは、本当に全員、演技がリアル過ぎて。
カリカの家城さんが顕著で、初日は驚愕して腰を抜かして立てない。2日目は怖くて半泣きでした。(本当に。本当に泣いているのかと思いました。)
「お芝居」です。「演技」です。テロリストは、「赤枝さん」なんです(笑)。
なのに、とにかく全員の驚き、混乱、「テロリスト」に対する恐怖心。それが余りにも凄すぎて、「あれっ、これってお芝居じゃなかったっけ!?あれっ、これ、ホントにテロリスト!?」って、ぐいぐい向こうのペースに引き込まれてしまったんです。
だから、わたしは本当に花火さんに、心から「死ぬな」って願うことが出来たんだろうなぁ、って思います。
ちなみに家城さん、2日目からは、テロリストが「解放」を知り、逃げる際、なんと「死ねーッ!」とテロリストが走り去った方角に向かって叫ぶ、というオプションが加わりました(笑)。(3日目は、「不幸に死ねー!」だった、というレポを見ました。)
なんというか、この家城さんの絶叫で、見ていたこちらは一気に緊張が緩んだというか…。感情がもの凄く素直なブッチ君だから、ああいうセリフを言っても、全部「あり」になってしまうのが凄いなぁ、と。ああ、よかった、居なくなったんだ、テロリスト…、そしてブッチ君、君はもの凄くストレートにものを言うね…(笑)、みたいな…。
あの叫びの効果は絶大でした…。
前半思いっきり笑っていただけに、テロリスト乱入後の「緊張」はハンパなくって。そしてテロリスト逃走後の「緩和」。
素晴らしいんですよ、このさじ加減…。
カリカは本当に凄くて、家城さんなんて、一番最初に、「登場しただけ」で会場が笑っていました。
これは凄い、と、思いました。
別に、何もおもしろいことを喋っている訳ではないのに、会場が笑ってる(笑)。
このインパクト、存在感、カリスマ性は、本当に天性のものだな、と。
ただただ、ひたすら、「凄い」としか思えなかったです。
他の褒め言葉なんて、出てきません。ただただ、「凄い」んです。圧倒されてしまって。
林さんも凄かった、感情が常に「怒」にあるような高橋キャスターの役、とにかく怒りの沸点に到達するのが目に見えて分かって、セリフひとつとっても感情が乗っているので重みがあるし、2日目、ブッチに対して怒るシーンで、熱演する余り腰を抜かした、ってのは前にも書いたんですが、何、この気の入れようは!?って、ビックリしたんです。
そこまで熱演しなくっても、お客さんには「怒」の感情が、伝わるんじゃないの!?って思ったぐらい、凄くて。
でも、そんな阿呆みたいなところで、演技に一切手を抜かない、妥協しない林さんは、もう本当に、ただただ、ひたすら凄くて。
2日目はみるみるうちに顔が赤くなっていって、息して!!息して林さん!!って思った(笑)。
本当に、凄かった。カリカのお2人の底力は、並大抵のもんじゃなかった、ハンパなかった。
だからこその、カリカの2人のやりとり、高橋キャスターとブッチのやりとりは、見ていて舞台上での迫力が(2人しか居ないのに)凄くて、ゾクゾクしました。
それは「カリカ」のやり取りなのに、舞台上で、もの凄い大物2人が、まさかの夢の共演をしているような、そんなド迫力を感じさせました。
生放送中、他の出演者を楽しそうにみている中村ディレクターの目。
これがまた、素晴らしかった。
花火に指示を出し、ブッチに「煽れ!」とけしかけ、そんな風に生放送を見守っていた中村ディレクターを演じたあべちゃんの、目が。
すごく、すっごく、キラキラ輝いていた。
この「目」を見た時には、またなんというか、感動が背中を走り抜けました。
ああ、中村ディレクターは、本当に楽しいんだ。本当に、この「生放送」を楽しんでいるんだ。この番組は、確実におもしろくなる。だって、自分の手で、おもしろい番組を作っているのだから。
やっとチャンスを掴んだ、「自分の企画」を流せる機会。自分が作った番組が、絶対におもしろくなることを知っている、底知れぬ自信と、ただただ、番組を「楽しんでいる」、子どものようなキラキラと輝く目。
素晴らしかったんです、あべちゃん。
あべちゃんが演技している、「中村ディレクター」では無くて。
「生放送」を楽しむ中村ディレクターが、そこには居たんだから。
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