カテゴリーで公演名を確認して下さいませ。
とおし番号(1、2…)がある場合は、順番に読むと良いことがあるかも…、
もとい、順番になっています。
もっと読みたいものは、「つづきはこちら」からどうぞ。
お疲れ様です。これで最後です。
(2008.2.21)
拝啓、ヒーロー様。
あなたも、ひとりぼっちなのですか?
「どうしたらヒーローになれるんだろう?」と真剣に考えていたのですが(はい、結構わたしなりに真面目に考えていました。)
そう思ったとき、「ヒロイックシンドローム」のヒーローが頭に浮かびました。
(2008.2.21)
拝啓、ヒーロー様。
あなたも、ひとりぼっちなのですか?
「どうしたらヒーローになれるんだろう?」と真剣に考えていたのですが(はい、結構わたしなりに真面目に考えていました。)
そう思ったとき、「ヒロイックシンドローム」のヒーローが頭に浮かびました。
+ + + + + + + + + +
「ヒロイックシンドローム」。あの公演をわたしが見てから、20日が経ちました。
このお話に出てくる怪人たちは、あとくされの無いよう、「天涯孤独」の者が政府によって選ばれ、プチ改造されて「怪人」として生まれました。
じゃあ、ヒーローは?
ヒーローであり、主役である赤井の周りには、「家族」とか、「恋人」とか、「友達」とかの匂いが全くしません。
5年、刑務所に居て、出所した赤井は家族の元に行く訳ではなく、迎えてくれたのは青山と黄原だけ。
赤井に面会に来た人も居なかった。出所した赤井を迎える人も居なかった。
最後に、みんなでヒーローショーをするという結論を出したときも。
赤井のそばには、血の繋がっている人の姿は一切みえなかった。
…赤井には、家族って、いたのかな?
…青山は?黄原は?
この2人もそうだ。
ヒーローたちの周りには、「家族」や「恋人」や「友達」が居ない。
このお話の中で「家族」が居る、と分かるのって、怪人の「海老男」ぐらいじゃないのかな…?
…もしかして、ヒーローもまた、「天涯孤独」だったの?
赤井のマンションにイタズラが殺到したときだって、赤井はたったひとりで闘っていた。
誰に助けを求めるわけでもなく、むしろ青山、黄原でさえも、赤井がそんな状況になっていることを知らなかった。
青山には父親は居るの?黄原には母親は居るの?ヒーローたちに、家族は居たの?
「ヒーロー」も、政府の考えで、もしかしたら、万が一のことがあり、(それこそ改造ミスなりなんなりで、)「怪人」に負けるかもしれない。
負けるまではいかなくとも、闘いのなかで重傷を負うことがあるかもしれない。
そのとき、「ヒーロー」に親や、家族や、恋人、近しい友人が居たら、どうだろう。
政府にしてみれば、「邪魔」なんじゃないだろうか?
新しい「ヒーロー企画」に、何かしらの不具合が出たとき。
それこそ不祥事だのなんだのが起こったとき、ポイッと捨てることが出来る存在なのは、「天涯孤独」な立場の人間なのでは?
「ヒーロー」が「天涯孤独」であれば、彼らを無茶な闘いに借り出し、闘わせることが出来る。
それに、ヒーローが守るものは、「一般市民」に限らせることが出来る。
逆を言えば、ヒーローが天涯孤独で無かった場合。親や兄弟、恋人が居た場合、ヒーローが改造されて、もっとも強い「ヒーロー」になったとき、まず一番に守ろうと思うのは、その身内たちであって、一般市民ではない。
もう、ずっと前に見たような気がしてしまう公演なので、細かいところは単純に、わたしが忘れているという可能性があるのですが…
(検事と赤井の2人っきりの裁判のシーンで、なんかそんなようなことを言っていた気が…しないというわけでもなくって…orz)
話の最初から最後まで、覚えている限りでは、赤井に「家族」の匂いはしなかったような気がする…。
もし、一貫して赤井に「身内」の匂いがしなかったとしたら、これは「意図して」だったのかなぁ…?
赤井は、ひとりぼっちだ。
何を今更、かもしれないけれど。赤井は、ひとりぼっちなんだ。
頼る家族も無く、自分の悩みを打ち明けられる友達、心を許せる友達もおらず、仲間は青山と黄原だけ。
この2人もチョケてばかりで頼りにならず、赤井はひとりで苦しんでいたんだ。
「自分がすべきことは何なのか。」
ラストシーンで、猫村に「あなたは、友達だから」と言われ、それでも最後まで突っぱねた赤井の気持ちが、ようやく分かったような気がします。
赤井は本当の「ひとりぼっち」を経験したから。
だから、簡単に「友達」だなんて言われたって、気づくことが出来なかったんだ。
…劇中劇では、赤井は猫村たちと心打ち解けあい、「友達」になるけれど…
実際は、どうだったのかな。
今までずっとひとりで闘ってきた赤井は。
今まで、青山にも黄原にも頼らず(彼ら2人に頼る、というよりかは、赤井はむしろ、この2人のことさえも、自分が守ってやっている立場なんだ、と思っていた)
たったひとりで全てを抱え込んで闘っていた「つもり」だったヒーローは。
青山や、黄原や、猫村たちが居るってことに、ちゃんと気がつけたんだろうか?
自分はひとりじゃない、たったひとりで全てを抱え込んでいる、って思い込んでいただけで。本当は色んな人が周りに居た、ってことに。
「お芝居」じゃなくて。本当に、実際にそう思えたんだろうか?
実際に、赤井は猫村たちと、「友達」になれたんだろうか?
「ヒーロー」っていうのは、
怪人と闘う「ヒーロー」っていうのは、確かに「天涯孤独」のほうが都合がいいのかもしれない。
でも、誰と闘うわけじゃなくて。
闘うのではなく、伝えていく立場になったとき、
身寄りは無くてもいい。
ただ、「友達」は居たほうが、いい。
「自分がやりたいと思ったこと」に、協力してくれる友達が。
なんだかんだ文句言ったり、ケチつけたりしながらも。
それでも赤井のことを「友達」だと思っていて、やいのやいの言いながらも、協力してくれる仲間が。
赤井には、最後にはそんな仲間が、出来たんだなぁ…、って思いました。
猫村たちも、ね。
猫村たち3人も、怪人なのだから、天涯孤独の身。
そんな彼らにも、友達が出来たんだよね。
むしろ、赤井の「ひとりぼっち」のつらさを、我がことのように重ねたのが怪人たちだったのかも。
だから、「あなたは、友達だ」と、断言出来た、ってことだったのかな。
(2008.3.30)
そうして、飽きることもなく、っていうかいい加減ケリをつけたらどうなんだ、という話でもある「ヒロイックシンドローム」に思いを寄せて。
猫村がひとりじゃなくて、よかったなぁ、って思って。
救われるのは、怪人が「ひとり」ではなく、「3人」だった、ってことだよなぁ、と。
ヒーローもまた、天涯孤独だったのかなぁ?…ってことを、前につぶやいたのですが。(全てが謎に包まれている、という設定も、今から思うと謎「でなければならない」という要因があったから出来た、ご都合主義の設定なのかなぁ、と。)
なぜか猫村がリーダー格のようだけど、猫村、猫田、猫本が、「3人」でよかったなぁ、って。
怪人も、あとくされの無いよう、天涯孤独の者が選ばれている。
「天涯孤独」だった猫村、猫田、猫本のそれぞれひとりひとりが、「3人1セット」の怪人として送り出されていて、よかったなぁ、ってしみじみ思います。
多分、ひとりぼっちで居ることを経験したからこその、猫村の「あなたは、ともだちだから」なんだろうな、って思って。
全てを失って「ひとりぼっち」になってしまった赤井の気持ちが、猫村には痛いほど分かったのかもなぁ、って思って。
そうして猫村は、「ひとりじゃない」ってことの心強さを、誰よりもよく知っているんじゃないのかな?って。
猫村が猫田、猫本たちと一緒に居て、「ともだち」が居ることの心強さを、日頃から凄く感じていたんじゃないだろうか。
「ひとり」になって、どうしたらいいのか分からなくて、困っている赤井を放っておけなかったのは、猫村もまた、「ひとり」だったことがあったから。
そうして、「ともだち」が居ることの強さもまた、猫村は知っていたから。
だから、「あなたは、ともだちだから」。
これがもし、猫村がたった「ひとり」で怪人として送り出されていたら、どうだっただろう、って。
赤井を、心から信頼出来るような相手として見ることが出来ていただろうか?
どうも天涯孤独な一匹狼(猫だけど。)なイメージが漂う猫村だから、彼がもし、本当にひとりだったら…、誰とも共同戦線を張ることも出来なかったような気がする。
黒幕の尻尾をつかんだ(猫だけに!)(…。)のも、猫村がひとりで居たとしたら、出来たのだろうか?
そもそもが「黒幕を調べる」という行動に出たことだって、今までの怪人たちはみな、それをして来なかった。でも、彼らはやった。黒幕を自分たちで突き止めた。
それは、3人居たから出来たことだったんじゃない?
やっぱり、ひとりじゃなくて、よかったなぁ、って思います。
そうしてこの文章を読み返していて思うのですが、
これじゃまるで、「猫村」が「ヒーロー」の役割だな、と。
「ヒロイックシンドローム」って、「ヒーロー」と「怪人」と「一般市民」の3つの役割が、コロコロ変わるお芝居で、そこがおもしろくて好きだなぁなんて思うのですが、ほんと、赤井に「ひとりじゃないよ、ともだちだよ!」って教える役割じゃあ、これじゃ猫村が主役の立場でヒーローだと名乗ってても、おかしくない。
ヒーローなんて、どこにでも居るし、誰でもなれるんだなぁ、と思います。
そして時には、自分が望んでもいないのに、怪人になってしまうこともある。
だけど、またそこから、ヒーローになれるときも来る。
赤井と猫村の2人が、特に結束を固め合った、という印象が強く残っているのは、どちらも「3人のリーダー格」であったこと以外にも、裏で色々と猫村の思いだとか、赤井の落ちぶれっぷりだとか、ほんとに色々あったからこそなのかな、と。思います。
そして一番大事なのは多分、「ヒーロー」だとか「怪人」だとか言ってるけれど、いっちばん重要なのは、彼らは「人間」だ、っていうことなんだろうな。
(2008.3.12)
わたしが神保町で一番好きな作品は、「ヒロイックシンドローム」なんですよ…。
うん、ダントツで好きかも。
どうやら、あのストーリーの難解さが、オタク魂に火をつけてしまった模様です。
見終わったあとの、なんとも言えない、答えの出ない、「そんでこれは一体何を訴えたかったお話だったの?」という、今一歩さをかもし出すモヤモヤ感。
自分で解答を導き出す、自分の力で答えを見出すお話の見せ方、その魅力に、ものの見事に綺麗にハマった作品でした。
決して大吾さんの着流し姿に見惚れたからでは…ッ!(笑)
いや、ほんとに、赤井さんが好きなんだな。どうにもこうにも…。
ところで「ヒロイックシンドローム」にて、
赤井の収入源って、なんだったんでしょうね?
最後にバイトのレアレア桑折さんに、「お前喫茶店のバイト、首になったからうちで雇ってやってんだろ…」みたいなこと、言ってませんでしたっけ。
…赤井たちの収入源って、「ヒーローショー」をやることだったの?
どっかから依頼されて、「ヒーローショー」を上演して、それで食いつないでいるのか…?
それって赤字なのでは…。
むしろ、赤井たちが個人で勝手にヒーローショーをやっているのだと思っていたので…。そこに収入は発生するのか…な…?
でも、少なくとも赤井はニートだよな…(言 い 方 よ。笑)働こうにも、顔が割れているのだから、バイトすら出来ないわけだし…。
有名になればなるほど、ああいう内容を上演しているわけだから、また政府から圧力かかるんじゃないのかなぁ、とも思わないでもない。
でも、そのときは「所詮、子ども向けのヒーローショーですけど?」と、赤井たちはいっくらでも言い逃れの術は持っているんだなぁ。
…もう一個ぐらい、お話できそうだなぁ、
「ヒロイックシンドローム」続編、作ってくれないかなぁ(笑)
という具合に「ヒロイックシンドローム」が好き過ぎて、「ヒロイックシンドローム」シンドロームになりそうです。
(2008.3.17)
「ヒロイックシンドローム」でそうしてきたから…。
回数見て、ようやく「ヒロイック」の話を理解出来た、って書いてある日記を読んだよ…、
わたしは1度見ただけで、見終わってから本当に、話の意味が分からなくてビックリしたけれど、それ以上見ることが不可能だったし、がんばって自分なりに、一生懸命考えたよ…。
ずっとずっと考えて、そうしてやっと答えを出したよ…。
このお話が、心から「大好きだ」と言えるぐらいまで、考え抜いたよ…。
なんなら、まだ考え足りないぐらいだよ…。
「答え」は出た、けれど、もっともっと、色んなこと考えたい公演なんだよ…。もっと、もっと。色んなこと教えてくれるような気がするんだ。
もう、二度とあの公演を見ることはないだろう、と思うけれど、(この世の中に「絶対」なんてことはないのだから、別にハナッから可能性を捨てている訳でもないけれど。)
「あのとき、どういう表情だったっけ…」とか、「あのとき、どんなセリフを言ってた?」とか、もう、覚えてなくって検証も出来ないもどかしさもある、でも、
大好きなんだ。
そんなもん、全部ひっくるめて承知のうえで、大好きなんだ。
このお話に出てくる怪人たちは、あとくされの無いよう、「天涯孤独」の者が政府によって選ばれ、プチ改造されて「怪人」として生まれました。
じゃあ、ヒーローは?
ヒーローであり、主役である赤井の周りには、「家族」とか、「恋人」とか、「友達」とかの匂いが全くしません。
5年、刑務所に居て、出所した赤井は家族の元に行く訳ではなく、迎えてくれたのは青山と黄原だけ。
赤井に面会に来た人も居なかった。出所した赤井を迎える人も居なかった。
最後に、みんなでヒーローショーをするという結論を出したときも。
赤井のそばには、血の繋がっている人の姿は一切みえなかった。
…赤井には、家族って、いたのかな?
…青山は?黄原は?
この2人もそうだ。
ヒーローたちの周りには、「家族」や「恋人」や「友達」が居ない。
このお話の中で「家族」が居る、と分かるのって、怪人の「海老男」ぐらいじゃないのかな…?
…もしかして、ヒーローもまた、「天涯孤独」だったの?
赤井のマンションにイタズラが殺到したときだって、赤井はたったひとりで闘っていた。
誰に助けを求めるわけでもなく、むしろ青山、黄原でさえも、赤井がそんな状況になっていることを知らなかった。
青山には父親は居るの?黄原には母親は居るの?ヒーローたちに、家族は居たの?
「ヒーロー」も、政府の考えで、もしかしたら、万が一のことがあり、(それこそ改造ミスなりなんなりで、)「怪人」に負けるかもしれない。
負けるまではいかなくとも、闘いのなかで重傷を負うことがあるかもしれない。
そのとき、「ヒーロー」に親や、家族や、恋人、近しい友人が居たら、どうだろう。
政府にしてみれば、「邪魔」なんじゃないだろうか?
新しい「ヒーロー企画」に、何かしらの不具合が出たとき。
それこそ不祥事だのなんだのが起こったとき、ポイッと捨てることが出来る存在なのは、「天涯孤独」な立場の人間なのでは?
「ヒーロー」が「天涯孤独」であれば、彼らを無茶な闘いに借り出し、闘わせることが出来る。
それに、ヒーローが守るものは、「一般市民」に限らせることが出来る。
逆を言えば、ヒーローが天涯孤独で無かった場合。親や兄弟、恋人が居た場合、ヒーローが改造されて、もっとも強い「ヒーロー」になったとき、まず一番に守ろうと思うのは、その身内たちであって、一般市民ではない。
もう、ずっと前に見たような気がしてしまう公演なので、細かいところは単純に、わたしが忘れているという可能性があるのですが…
(検事と赤井の2人っきりの裁判のシーンで、なんかそんなようなことを言っていた気が…しないというわけでもなくって…orz)
話の最初から最後まで、覚えている限りでは、赤井に「家族」の匂いはしなかったような気がする…。
もし、一貫して赤井に「身内」の匂いがしなかったとしたら、これは「意図して」だったのかなぁ…?
赤井は、ひとりぼっちだ。
何を今更、かもしれないけれど。赤井は、ひとりぼっちなんだ。
頼る家族も無く、自分の悩みを打ち明けられる友達、心を許せる友達もおらず、仲間は青山と黄原だけ。
この2人もチョケてばかりで頼りにならず、赤井はひとりで苦しんでいたんだ。
「自分がすべきことは何なのか。」
ラストシーンで、猫村に「あなたは、友達だから」と言われ、それでも最後まで突っぱねた赤井の気持ちが、ようやく分かったような気がします。
赤井は本当の「ひとりぼっち」を経験したから。
だから、簡単に「友達」だなんて言われたって、気づくことが出来なかったんだ。
…劇中劇では、赤井は猫村たちと心打ち解けあい、「友達」になるけれど…
実際は、どうだったのかな。
今までずっとひとりで闘ってきた赤井は。
今まで、青山にも黄原にも頼らず(彼ら2人に頼る、というよりかは、赤井はむしろ、この2人のことさえも、自分が守ってやっている立場なんだ、と思っていた)
たったひとりで全てを抱え込んで闘っていた「つもり」だったヒーローは。
青山や、黄原や、猫村たちが居るってことに、ちゃんと気がつけたんだろうか?
自分はひとりじゃない、たったひとりで全てを抱え込んでいる、って思い込んでいただけで。本当は色んな人が周りに居た、ってことに。
「お芝居」じゃなくて。本当に、実際にそう思えたんだろうか?
実際に、赤井は猫村たちと、「友達」になれたんだろうか?
「ヒーロー」っていうのは、
怪人と闘う「ヒーロー」っていうのは、確かに「天涯孤独」のほうが都合がいいのかもしれない。
でも、誰と闘うわけじゃなくて。
闘うのではなく、伝えていく立場になったとき、
身寄りは無くてもいい。
ただ、「友達」は居たほうが、いい。
「自分がやりたいと思ったこと」に、協力してくれる友達が。
なんだかんだ文句言ったり、ケチつけたりしながらも。
それでも赤井のことを「友達」だと思っていて、やいのやいの言いながらも、協力してくれる仲間が。
赤井には、最後にはそんな仲間が、出来たんだなぁ…、って思いました。
猫村たちも、ね。
猫村たち3人も、怪人なのだから、天涯孤独の身。
そんな彼らにも、友達が出来たんだよね。
むしろ、赤井の「ひとりぼっち」のつらさを、我がことのように重ねたのが怪人たちだったのかも。
だから、「あなたは、友達だ」と、断言出来た、ってことだったのかな。
(2008.3.30)
そうして、飽きることもなく、っていうかいい加減ケリをつけたらどうなんだ、という話でもある「ヒロイックシンドローム」に思いを寄せて。
猫村がひとりじゃなくて、よかったなぁ、って思って。
救われるのは、怪人が「ひとり」ではなく、「3人」だった、ってことだよなぁ、と。
ヒーローもまた、天涯孤独だったのかなぁ?…ってことを、前につぶやいたのですが。(全てが謎に包まれている、という設定も、今から思うと謎「でなければならない」という要因があったから出来た、ご都合主義の設定なのかなぁ、と。)
なぜか猫村がリーダー格のようだけど、猫村、猫田、猫本が、「3人」でよかったなぁ、って。
怪人も、あとくされの無いよう、天涯孤独の者が選ばれている。
「天涯孤独」だった猫村、猫田、猫本のそれぞれひとりひとりが、「3人1セット」の怪人として送り出されていて、よかったなぁ、ってしみじみ思います。
多分、ひとりぼっちで居ることを経験したからこその、猫村の「あなたは、ともだちだから」なんだろうな、って思って。
全てを失って「ひとりぼっち」になってしまった赤井の気持ちが、猫村には痛いほど分かったのかもなぁ、って思って。
そうして猫村は、「ひとりじゃない」ってことの心強さを、誰よりもよく知っているんじゃないのかな?って。
猫村が猫田、猫本たちと一緒に居て、「ともだち」が居ることの心強さを、日頃から凄く感じていたんじゃないだろうか。
「ひとり」になって、どうしたらいいのか分からなくて、困っている赤井を放っておけなかったのは、猫村もまた、「ひとり」だったことがあったから。
そうして、「ともだち」が居ることの強さもまた、猫村は知っていたから。
だから、「あなたは、ともだちだから」。
これがもし、猫村がたった「ひとり」で怪人として送り出されていたら、どうだっただろう、って。
赤井を、心から信頼出来るような相手として見ることが出来ていただろうか?
どうも天涯孤独な一匹狼(猫だけど。)なイメージが漂う猫村だから、彼がもし、本当にひとりだったら…、誰とも共同戦線を張ることも出来なかったような気がする。
黒幕の尻尾をつかんだ(猫だけに!)(…。)のも、猫村がひとりで居たとしたら、出来たのだろうか?
そもそもが「黒幕を調べる」という行動に出たことだって、今までの怪人たちはみな、それをして来なかった。でも、彼らはやった。黒幕を自分たちで突き止めた。
それは、3人居たから出来たことだったんじゃない?
やっぱり、ひとりじゃなくて、よかったなぁ、って思います。
そうしてこの文章を読み返していて思うのですが、
これじゃまるで、「猫村」が「ヒーロー」の役割だな、と。
「ヒロイックシンドローム」って、「ヒーロー」と「怪人」と「一般市民」の3つの役割が、コロコロ変わるお芝居で、そこがおもしろくて好きだなぁなんて思うのですが、ほんと、赤井に「ひとりじゃないよ、ともだちだよ!」って教える役割じゃあ、これじゃ猫村が主役の立場でヒーローだと名乗ってても、おかしくない。
ヒーローなんて、どこにでも居るし、誰でもなれるんだなぁ、と思います。
そして時には、自分が望んでもいないのに、怪人になってしまうこともある。
だけど、またそこから、ヒーローになれるときも来る。
赤井と猫村の2人が、特に結束を固め合った、という印象が強く残っているのは、どちらも「3人のリーダー格」であったこと以外にも、裏で色々と猫村の思いだとか、赤井の落ちぶれっぷりだとか、ほんとに色々あったからこそなのかな、と。思います。
そして一番大事なのは多分、「ヒーロー」だとか「怪人」だとか言ってるけれど、いっちばん重要なのは、彼らは「人間」だ、っていうことなんだろうな。
(2008.3.12)
わたしが神保町で一番好きな作品は、「ヒロイックシンドローム」なんですよ…。
うん、ダントツで好きかも。
どうやら、あのストーリーの難解さが、オタク魂に火をつけてしまった模様です。
見終わったあとの、なんとも言えない、答えの出ない、「そんでこれは一体何を訴えたかったお話だったの?」という、今一歩さをかもし出すモヤモヤ感。
自分で解答を導き出す、自分の力で答えを見出すお話の見せ方、その魅力に、ものの見事に綺麗にハマった作品でした。
決して大吾さんの着流し姿に見惚れたからでは…ッ!(笑)
いや、ほんとに、赤井さんが好きなんだな。どうにもこうにも…。
ところで「ヒロイックシンドローム」にて、
赤井の収入源って、なんだったんでしょうね?
最後にバイトのレアレア桑折さんに、「お前喫茶店のバイト、首になったからうちで雇ってやってんだろ…」みたいなこと、言ってませんでしたっけ。
…赤井たちの収入源って、「ヒーローショー」をやることだったの?
どっかから依頼されて、「ヒーローショー」を上演して、それで食いつないでいるのか…?
それって赤字なのでは…。
むしろ、赤井たちが個人で勝手にヒーローショーをやっているのだと思っていたので…。そこに収入は発生するのか…な…?
でも、少なくとも赤井はニートだよな…(言 い 方 よ。笑)働こうにも、顔が割れているのだから、バイトすら出来ないわけだし…。
有名になればなるほど、ああいう内容を上演しているわけだから、また政府から圧力かかるんじゃないのかなぁ、とも思わないでもない。
でも、そのときは「所詮、子ども向けのヒーローショーですけど?」と、赤井たちはいっくらでも言い逃れの術は持っているんだなぁ。
…もう一個ぐらい、お話できそうだなぁ、
「ヒロイックシンドローム」続編、作ってくれないかなぁ(笑)
という具合に「ヒロイックシンドローム」が好き過ぎて、「ヒロイックシンドローム」シンドロームになりそうです。
(2008.3.17)
「ヒロイックシンドローム」でそうしてきたから…。
回数見て、ようやく「ヒロイック」の話を理解出来た、って書いてある日記を読んだよ…、
わたしは1度見ただけで、見終わってから本当に、話の意味が分からなくてビックリしたけれど、それ以上見ることが不可能だったし、がんばって自分なりに、一生懸命考えたよ…。
ずっとずっと考えて、そうしてやっと答えを出したよ…。
このお話が、心から「大好きだ」と言えるぐらいまで、考え抜いたよ…。
なんなら、まだ考え足りないぐらいだよ…。
「答え」は出た、けれど、もっともっと、色んなこと考えたい公演なんだよ…。もっと、もっと。色んなこと教えてくれるような気がするんだ。
もう、二度とあの公演を見ることはないだろう、と思うけれど、(この世の中に「絶対」なんてことはないのだから、別にハナッから可能性を捨てている訳でもないけれど。)
「あのとき、どういう表情だったっけ…」とか、「あのとき、どんなセリフを言ってた?」とか、もう、覚えてなくって検証も出来ないもどかしさもある、でも、
大好きなんだ。
そんなもん、全部ひっくるめて承知のうえで、大好きなんだ。
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